『共同風呂――近代村落社会の入浴事情』

ご挨拶が遅くなりましたが、みなさま今年もよろしくお願い致します。


2008年12月に、以下の本が出版されていました。
白石太良 2008『共同風呂――近代村落社会の入浴事情』岩田書店
ざっと目を通しただけですが、農村地域における集落単位・集落内の「仲間」が共同に設けた浴場施設に焦点がしぼられ、資料だけではなく、アンケートや聞き取り調査にもとづいた、共同風呂についての事実(調査報告等含)の記録というかたちでまとめられています。
(著者は「共同風呂」を「共同で入浴するという形態からは銭湯に類似するが、毎回の入浴に対して入浴料を徴収しない、当番制などにより自主的な維持・管理が行われる、原則として入浴者が特定されているなどの相違点がある」などと定義している。加えて、この研究を人文地理学と民俗学の学際的位置を占めると述べている。)

「? 共同風呂の事例研究」のなかで取り上げられている地域は、鳥取県中部、佐賀県旧北茂安町、愛媛県西部、北海道、沖縄。
「? 共同風呂の調査報告」で取り上げられている地域は、秋田県青森県新潟県・石川県、愛媛県西予市宇和町、北部九州、長崎県
このほか、神戸、明石、大阪、韓国、中国についても記述されています。

ここでの調査報告等は著者による科研報告書に基いているものもあるので、そちらにも目を通した方がよさそうです。

佐倉順天堂記念館

先週末、日本医史学会で千葉県佐倉市に行ってきました。
佐倉には佐藤泰然が開いた順天堂(現記念館)があります。
今回は泊まりではなく、ほぼ1日しか佐倉に居られなかったので、泣く泣く佐倉順天堂記念館のみに行ってきました。
旧佐倉順天堂(佐倉順天堂記念館)
http://www.geocities.jp/bane2161/kyuusakurajyuntendou.html
地図を見て感じたことですが、順天堂は佐倉城下町のやや外れにあるのでは、という印象。


さて、辿りつく前に、霧雨みたいな雨が降ってまして、そんな濡れたつもりはなかったのですが、見た目にどぶねずみのような感じになっていたようです。
(ただ駅から歩いて行ったので、そして蒸し暑いことこの上なかったので、雨のせいだけではなく、汗でどろどろになったせいもあるかと思われます)
順天堂記念館の方々には本当に良くしていただきました(タオルまで貸していただいて、、感涙)。
ただ雨のおかげで緑が綺麗でした。(↓これは順天堂のお庭)

写真はないのですが(撮っている余裕がなかった)、佐倉では私宅に咲いている紫陽花が雨に濡れて綺麗でした。



国立歴史民俗博物館では、29日まで「近代医学の発祥地;佐倉順天堂」と題して展示を行っています。
http://www.rekihaku.ac.jp/events/p080603.html
学会で招待券ももらったしこっちに行けばよかったか。うーん、残念。



「佐倉順天堂」で検索したら、こんなページを見つけました。
順天堂佐藤氏の本
http://www3.ocn.ne.jp/~inba/sin5.html




実は、最近知ったのですが、佐倉は父方の曽々祖父(ひいひいおじいさん)が住んでいた場所でした。
住んでいた詳しい場所は分かりませんが、土建屋だったそう。
佐倉出身だったかどうかは定かではなく、北陸の方から佐倉に渡ってきたということも聞いたような気がします(このあたり、うろ覚えです)。
曽々祖父は、その後、横須賀に渡ります。


曽々祖父のこともふまえて、佐倉にはいずれまた訪れたいと思いました。
それ抜きにしても、佐倉は本当にいい場所なので、歴史探訪が好きな人にはお勧めの場所ですね。

流し【TV情報】

2月14日放送の「はなまるマーケット」で「街なか温泉」という特集が放送されていました。
箱根小涌園や都内のスーパー銭湯など(主に極楽湯)がとりあげられ、いわゆる銭湯(一般公衆浴場)はほとんど取りあげられていなかったのが残念でしたが、唯一紹介された銭湯がありまして、それが荒川区の斉藤湯。
ここは、「流し」のサービスをしているらしい。
つまり、未だ「三助」さんがいらっしゃるということです。「三助」という言葉は出てきませんでしたが。
流しをするのは、「背中流しの達人」橘秀雪さん。
富山県氷見市のご出身で、15歳で知り合いを頼り上京してから銭湯で背中流しを続けていらっしゃると放送されていました。
橘さんはこれまでも何度かテレビにご出演されているそうです。


斉藤湯HP
http://www1.tcn-catv.ne.jp/saito-yu/top.html


番組内容について詳しくはこちら↓
TBS はなまるマーケット
http://www.tbs.co.jp/hanamaru/tokumaru/t080214.html
放送内容が詳細にわかるのがすばらしいです。


ちなみに京都のスーパー銭湯「天山の湯」にも背中流しサービス、その名も「お背中流し隊」というのがあるそうです。
男性の背中は男性、女性の背中は女性が流してくれるそうです。


さがの温泉 天山の湯
http://www.ndg.jp/tenzan/
温泉Hopperで紹介  さがの温泉 天山の湯
http://www.ne.jp/asahi/world/hopper/onsen/kyoto/sagano/sagano.htm

燃料難【読売新聞】

書きたいことがたくさんあるのですが、更新が滞ってます。すみません。
おそらくこれが今年最後の更新になるかと思います。
久々に新聞ネタです。
2007年12月27日読売新聞朝刊より、引用させていただきます。



薪足りない 廃材入手難しく上京の銭湯苦境


裸電球に照らし出されたかま場で、オレンジ色の炎が吹き出すかまどに薪(まき)が次々とくべられる――。「京極湯」(上京区土屋町通一条下る)は、現在も薪で湯を沸かす数少ない銭湯だ。薪に使うのは、廃材。この原材料の入手が難しくなったという。代替に使う再生重油も昨今の原油高で値が上がり、今、苦境にある。

 終戦直後の1946年の開業。かま場では、2代目主人の高村諄一さん(62)が汗をぬぐいながら、黙々とかまどの火を起こす=写真。最も原始的な火力で沸かした湯は、熱く、それでいて柔らかで、客の体を芯からぬくめていく。

 廃材は建築業者から譲り受けていたが、行政による産廃の管理が厳しくなる中、手に入りにくくなった。といって、価格高の重油は、コストに合わない。高村さんは「営業時間の短縮も考えたが、お客さんを思うと踏み切れない。今はどうしようもない」とため息をつく。

 高村さんは廃材の供給先を探しているという。連絡先は京極湯(075・431・2006)。

(2007年12月27日 読売新聞)



詳しくはこちら↓
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20071227-OYT8T00040.htm

道後温泉本館

前回の続きの日記です。


次の日、学会後に道後温泉本館に。
正面から見るとそれほど奥行きがあるような印象は受けませんが、横からみると意外に大きくてびっくり。


道後温泉本館には入浴コースが4つあります。
1.神の湯 料金400円 時間60分 1階の神の湯のみ利用可 直接脱衣所で着替える お茶・お菓子のサービスなし。
2.神の湯2階席 料金800円 時間60分 1階の神の湯のみ利用可 大広間・浴衣利用可 お茶・お煎餅のサービスあり。
3.霊の湯2階席 料金1200円 時間60分 神の湯・霊の湯利用可 中2階の小広間・浴衣利用可 お茶・お煎餅のサービスあり。
4.霊の湯3階席 料金1500円 時間80分 神の湯・霊の湯利用可 3階の個室・浴衣利用可 お茶・お団子のサービスあり。


この日は疲れていたのと、次いつ道後温泉に来られるのかわからないので霊の湯3階席を利用することに。


1階の下駄箱の近くにはコーヒー牛乳などの自販機が。
中にはプリンもありました。


ここから入って、いったん3階まで通されます。


3階の個室はこんな感じ。


まずは2階の霊の湯へ。
湯船は小さいですが、深かったです。
洗い場は人が5人くらいしか利用できないくらい小ぢんまりとした浴室でした。
ここで少し温もってから、1階神の湯へ。
道後温泉の湯はぬるいですが、体が温もるのがその割に早く、いったん温もったら体はなかなか冷えません。


1階神の湯は地元の人も多く大変にぎわっていました。
浴室は、真ん中に大きい浴槽があって、相変わらず湯口で打たせ湯をしている人もいました。
あと浴槽のふちに寄りかかって、手ぬぐいで顔を隠してダラーっと横になっている人も。
ここまでだらけている姿を浴室で人目にさらしている人を初めて見ました。



今では、道後温泉のほかの旅館などでも温泉が引かれ利用できるようになっていますが、これは昭和31年からとのこと。
温泉を引き上げる設備が出来るまで、道後温泉本館でしか温泉には入れなかったそうです。(道後温泉本館明治27年からあるんだとか。)
そのため、皇族が道後温泉を利用する際もこの本館を利用したそうで、皇族専用の浴室、又新殿(ゆうしんでん)が設けられています。
今では、この浴室は利用されることなく、皇族の方々はホテルや旅館などを利用されるんだそう。
又新殿はもう利用されなくなった独特の寂しさを醸し出していました。
又新殿は、ガイド付で見学することが出来ます。
霊の湯利用者は無料で、神の湯利用者は、プラス250円で。
(今ここに書いた情報はそのガイドさんのお話でうかがったことばかりです)


3階には、夏目漱石ゆかりの「坊ちゃんの間」があります。
ここは誰でも無料で見学可。
松山における夏目漱石の動向が年表化され、また漱石と鏡子さんのお見合い写真が飾られていました。
実際にこの部屋を漱石が愛用していたかはわからないらしいが、漱石道後温泉を(松山のなかで)気に入っていたのは本当かもしれないと思いました。


今では、道後温泉本館近くのホテルでも足湯などの設備を設けているらしい(無料利用可)ですが、時間がなく残念ながら足湯巡りは出来ず。
というか、いったん温泉に入ってしまうと力がぬけてしまってあちこち巡るのは到底無理になってしまったのでした。

道後温泉椿の湯

もう先々月のことになりますが、公衆衛生学会で松山に行ったときのこと。
松山といえば、道後温泉、坊ちゃん風呂。
松山市内は、『坊ちゃん』、夏目漱石、『坂の上の雲』をアピールしている印象を受けましたが)
ということで松山入りした当日、早速道後温泉本館へ行こうと路面電車に乗って出発。

大田垣晴子さんが『物見遊湯』でも紹介しているように、道後温泉本館のすぐ近くに椿の湯という共同浴場(一般公衆浴場)があります。

結局松山入りしたその日は道後温泉本館ではなく、椿の湯に入ることに。
入り口、下駄箱、ロビー、脱衣所等々普通の銭湯とは思えないくらい広かったです。
浴室は、天井が高くて大きい浴槽が一つ、その脇に浅い小さな浴槽が一つありました。
昔の銭湯の様子を描いた絵として、なんだか見たことがあるような印象を受けるも思い出せず。
洗い場は髪を洗う場所と、髪を洗わない場所で別れていました(髪を洗わない場所のカランは浴槽のすぐ近く、髪を洗う場所は、浴槽から遠くしてあった、洗髪の際にシャンプーなど泡が浴槽に入らないようにする工夫?)。
浴槽の真ん中には、湯がじょぼぼぼぼと出てくる湯口があり、そこで打たせ湯をしている人が何人かいました。
湯口で打たせ湯をしているのを初めて見たのですが、これは次の日道後温泉本館に行ったときも見たので、松山特有の行動なのかなぁ?
私が行った時間はお客さんが多くてにぎわっていたのですが、松山のおばちゃんたちは本当にあっけらかんと明るーい印象を受けました。
孫がどーしたこーした、いやー私のこの服ちょっとねじれてへん?奥さんこれこういう服なんやわ、おしゃれやなぁなどなど、こうやって書くと何がおもしろいんだかわからないことなのに必ず笑い声が会話に入ります。
その地方それぞれなのでしょうが、閉鎖的な感じとか笑顔の下の本音とか、薄暗い感じがほとんどありませんでした。

帰り、路面電車を待つ間、ちょうど駅前の坊ちゃんカラクリ時計のからくりが起動しはじめて見ることができました。

まず光ります。そして文字盤がひっくり返りマドンナ登場。


時計の上から何か出てきました。


下がせりあがり、時計は3階建てに。1階は道後温泉です。

時計の周りはいつの間にか人でいっぱい。
時計に一つ変化が起こるたびに、おおーっと歓声があがっていました。