汐湯―外観のみ。隣にあるものは?

昨日の続きです。


中津での最後の滞在日。私は午前中から福沢諭吉旧家に行ったりと、地図を見ながら医学史散歩みたいなことをしてました。大江医家を見れなかったのは残念。薬湯についての説明書があったそうなのに。
地図を見て、私には中津城福沢諭吉旧家や他の医学家の博物館と同じくらい、もしくはそれ以上に訪れたい箇所がありました。
それが汐湯という銭湯です。
私が手に入れた中津の地図は、中津の城下町のルートマップ、医学史散歩のために作成されたみたいなものです。汐湯もその地図の中に書かれていました。それなら、きっと何か特色があるにちがいない。そう思って、福沢家を見た後、てってこてってこと、汐湯まで歩いていきました。



当日はとてもいい天気で、私はスーツをきており歩いているうちにかなり暑くなってきました。地図はそこそこ読めますが、道をあやまる可能性もあるので結構不安でしたが、どうにかたどり着くことが出来ました。結構海の近くにあったと思います。海のにおいがしたしね。


あったあったと思っても、営業時間外なので入ることは出来ず写真だけ撮ってきました。
なぜか銭湯の横には割烹汐湯の看板が。銭湯と割烹料理屋と両方経営してるのかな?


そして、その横には、石碑がたっていました。
石碑には、「中津 海水湯」の文字、そして石碑の右側面には、「明治20年」の文字が。
海水利用の入浴や浴場を「潮湯」といったりします。
明治期に海水浴や、海水を使った入浴は健康にとって良しとされるのですが、それが現れている一端を見た気がしまっした。